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河下盆踊りの由来
河下盆踊りは、鰐淵寺山麓に古くから伝わっているもので、口碑によると、1332年(元弘2年)4月、後醍醐天皇は元弘の乱に敗れ、隠岐に配流の際、鰐淵寺南院の僧、頼源律師が王道再興の宿願成就を祈願したのち、一山の僧徒を集め念仏踊りをしたのがその起源であるといわれている。
また、慶長のはじめ念仏踊りの一座を率いて,京に上った出雲阿国がこの踊りの手を基礎として、歌舞伎を編み出したとも伝えられている。
「甚句ナ踊らばヨ品良く踊れ、品のナ良いのが河下踊り トコドッコイ ドッコイ ドッコイ」で始まる甚句踊りのほかに、「ヨウイヨウイ ヨウイヤナーイ」の平くどき踊り、「ヤーハトナーイ ヤーハトナアイ」の山くどき踊り、安来節踊り、関の五本松踊りも加わり、幾多の変遷を経て、今日の河下盆踊りとして伝えられている。
歌詞の多くに、建武の中興や隠岐の帝などが歌われている。
やぐらのまわりをお囃子の尺八や三味線、鼕(どう)に合わせて踊る河下盆踊りは、指先を上から下へ流すゆったりとした仕草が特徴で、踊りの夜は、お盆の帰省客も一緒になり、遅くまで賑わう。
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